本郷【休日】

『晴れときどきほくほく』ともあれ、本郷は猫が多い。たいていの猫は人になついてなくて・・・だから、気にもしないし気にもされていない様子。そんなんがいい。   大抵、休日の午前中は、揚げたてほくほくの「菊坂コロッケ」をふたつばかり買って近くの公園で本読み。そんな時間を楽しむ公園でたまに会える猫がいる。自分から擦寄ってくるわけじゃないんだけど「おいで」と声をかけると、小さくひと鳴きの返事。その場の空気の色や流れを髪の毛ひとつほども壊さずに傍まで寄ってくる。

ひとくち分だけ「菊坂コロッケ」をわけてあげると、わたしといっしょにまどろむように傍らでハムハムと。ひとしきり毛づくろいが終わるまでの関係。そんなんがいい。   最近ある機会があって、20年以上前のバンド仲間たちにコンタクトとってた。日ごろ密な付き合いがあるわけじゃないんだけどね。年1回会うか電話で話しするかくらい。気がつくと、 あいつらに全然構えずに接しているわたしに気づいた。そんなんがいい。   それぞれがそれぞれの人生。愛想のない猫たちとのすれ違いも公園のあいつ(オスかなメスかな)とのまどろみもバンド仲間のあいつらとの時間の史もどうも気持ちがいいらしい。   そうそう、公園でまどろみは・・・寒くて厳しくなってきた。「菊坂コロッケ」の揚げたて買い食いは変えずに、どっか秘密基地を探さねば。

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実は『菊坂トンカツ(?)』もうまい。先月のこと、初めてガブついて食べてみた。イケル。上野『井泉』のカツサンドは、昼に買って夜食すのがソースがパンに染込んで、肉も馴染んでうまい。『菊坂コロッケサンド』も2種類交代で売られている。ハンバーガーのようなバンズにキャベツとコロッケが挟んであるバージョンのできたてが、だんぜんうまい! お願いがあります。どうか『菊坂カツサンド』月一くらいで作って下さい。(菊坂コロッケ 菊坂の途中、本郷小学校からなら坂を下りたあたりです。文京区本郷4-36-4「まるや肉店」) 2008年秋

#hongou

台湾【阿美飯店(台北)】

台北は台北市吉林路83号「阿美飯店」という食堂(飯店ってホテルの中国語に限定して知識化していた)。 「好記坦仔麺(Hau Ji Tan Jan Men)」で有名な店。毎日2000杯!売るのだとのこと。値段は35台湾元。ここの料理はどれもリーズナブルで手抜きがない。「どうだッ!(笑)」って感じ。店員さんも明るくここの料理はもちろん満足なのだが、それ以上の関心が店舗デザイン。統治時代の地図やポスターなどがディスプレイされ、それこそ、時代が交錯している食堂空間。 来店の人種も様々。食事よりもそちらに関心が・・・。     以前から、日本と台湾、日本と韓国、日本と沖縄、沖縄と朝鮮国との関係に興味が尽きなかったが、この店の存在感といったらどういうのかな・・・あえて統治時代の肖像に光をあてている。店に来ていた"老大人"が言った。「日本人には感謝してる・・」。たびたび耳にする言葉、私にはまだその言葉の真意まで触れることができない。 店にあった古地図の「西門市場」付近・・・統治時代の地図だけに、やっぱり日本語だね。歴史は、どんなに歪んでもニセモノ(ツクリモノ)はありません。全てが実体です。過去も現在も全て時代の証です。 「私の中に地球が存在する」と誰かが書いていた本を読んだことがあります。少し、合点がいった気がする。 MRT淡水線「中山」駅4番出口から徒歩約20分。南京東路を東にずっと進み、吉林路との交差点を左折。長春路を越して、すぐ右手にあります。「中山」駅からタクシーであれば、10分ぐらい。

#taiwan

台湾【西門】

わたしが書いたので、誤まった情報があったら容赦。台湾に行く機会があったら歴史にも思いを寄せて散策してみてください。

西門は歴史と現代のトレンドが交錯・共存する街。 電影(映画)とファッションに彩られた街。 日本・台湾(本省人)・中国(外省人)の血が混在する街。 台北に行ったら、ぜひ散策してみてほしい。

以下、防備録として。散策なさる方の観光案内ではなく事前情報として。

<電影街の歴史は日本人がきっかけ> 1895年に日本統治が始まった当時の西門は荒廃の地で、行き倒れの無数の死体が放置される状態だったとのこと。その地を日本人居住地や娯楽商業地域として開発に着手。統治期間50年の間に、台湾住民は次第に日本人の娯楽に馴染むようになり、1911年には台湾初の電影(映画)館ができました。そして、1935年に統治40周年を記念して開かれた台湾博覧会をきっかけに電影街を整備、育成することに至りまます。

<ファッション街の歴史は上海人がきっかけ> 1945年大戦終戦後、国民党蒋介石の行政機構は、中国本土から台湾に移住の「外省人」を重用しました。そして日本人に変わって多くの中国人が移住したのです。特に多かった上海からの外省人は、1950年以降、多額の投資をして百貨店の経営を開始、ダンスホール、珈琲ショップなどの商業施設が林立します。1981年の「中華市場」施工をきっかけに最盛期を迎え、当時は電影館が40館ほどもあったとのことで、上海の発展に匹敵するほどの経済成長を見せたといいます。

<台北市政府と西門商業組織による衰退と再開発> そんな空前絶後の繁栄を迎えるも、1992年に台湾国内整備推進の一環で、西門町経済中心施設の「中華市場」なども取り壊され、衰退をはじめることになります。しかし、1998年に台湾市政府と商店街組織による地域開発が再開、歴史遺産の保護と復古を果たした現在の西門町は、 台湾一の商業・娯楽地域として、繁栄しています。   そんな西門町の発展と衰退、交錯と共存のシンボルとして、レトロでアーティスティックな八角形の紅いレンガの建物、「紅樓劇場」を紹介しましょう。現在では、気軽に喫茶のほか映画や劇などが楽しめ、芸術文化の発信源としての役割を担っています。

http://www.taipeinavi.com/play/play.php?id=72  

名こそ「紅樓劇場」ですが、日本統治下の1908年に公衆衛生管理施設として施工、その後、公の市場などとして使われていました。その当時の名は「西門市場」です。設計者は近藤十郎で、独特な八角形をしています。その謂れが、荒廃の地、西門町開発の縁起担ぎであるといいます。「八卦」をイメージしたデザインを採用したわけです。人々もここを「八角堂」と呼んでいたとのこと。   終戦後の「西門市場」は、外省人によって「紅樓劇場」と名を変え、劇場や映画館として隆盛を誇りましたが、時代の変化と共に、1970年代以降は老朽化と共に衰退、廃墟同然になります。幸いなことに、1998年西門再開発をきっかけにして、台湾政府と民間の協力の下、大改装が行われ2002年に完成。現在は「紙風車文教基金会」によって運営されています。2Fには統治時代の西門町の写真なども数多く見られます。   この「紅樓劇場」は、「西門市場」から数えて、約100年の歴史をもちます。台湾の第三級遺産として認定されている貴重な建物です。今でこそ観光ガイドではトレンドの建物と紹介され、それこそ"哈日族"やファッションを楽しむ若い台湾人の多くを集めていますが、日本びいきを"売国奴"と呼んでいた日本統治時代の恨みや2・28事件の祖国である中国人(外省人)国民党政権による台湾人(本省人)虐殺の血も・・・その深いレンガの色に染み込ませているのです。   台湾は国連脱退の経緯を経て、今でも中国の属国です。世界は台湾を国と認めませんから日本大使館もありません。明治・大正・昭和・平成と日本の年号でいう四世代に渡る日本統治・外省人による軋轢の歴史を経て、 世界一の外貨獲得するまでに至った台湾の遺産のひとつが 「紅樓劇場」です。 「日本に対する好感は外省人への恨みの反動」と語る老人。今でも祖国は中国である・・との言葉は聞けるのかしらん。   こんな本もあります。 『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4900901458

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あっ、そうそうコロッケは食べなかったけど(涙)、同じく西門町においしい和食の店を見つけました。カツ煮と安倍川餅がおいしかったのです。「誠品」という有名なファッションビルの4Fです。

#taiwan

台湾【内湖(Neihu)】

内湖は、内湖サイエンスパークと呼ばれ、2000を超えるハイテク関連企業の集積地。 でも、台北市の行政区でも唯一美しい山と湖や清らかな川といった自然環境を有している街でもあります。 ここは台北市の庭とも称せられていて大湖公園の美しさはもとより碧山巌から台北市内を見下ろす夜景も魅力的。できれば、カップルで訪れてみてください。周りの雰囲気も相まって台北101からみる夜景よりお勧めです。     MRT板南線の昆陽(Kunyang)駅から内湖の要所までタクシーで15分(約500円)くらい。

#taiwan